三重バイオフォーラム 2014を開催しました。

1993年、1998年、2003年、2008年と過去5年おきに開催してまいりましたセルロースの生分解に関する「三重バイオフォーラム」を2014年、11月18日〜21日に三重県志摩市「合歓の郷」で開催いたしました。たくさんの方に御参加をいただきありがとうございました。


2008年、二酸化炭素排出による地球温暖化が現実となり、バイオエタノールが注目されるようになってきました。世界中で、エタノールをセルロースやヘミセルロース(植物材料)からつくろうと考えています。古くて新しいセルラーゼ研究が、人類に貢献できるときがやってきました。

次のGRCの議長、ニューキャッスルのGilbert先生をはじめ、前回のGRCの議長だったMorrison先生、VTTのPenttila先生、ミュンヘンのSchwarz先生、ワイツマンのBayer先生、退職されましたが元気なDoi先生、Demain先生、日本からも今回もたくさんの研究者の方に来ていただき濃厚な議論ができたと思います。「楽しかった。」「有意義な時間を過ごせました。」「有名な研究者と長時間語り合うことができました。」といろいろと感想をいただきました。「志摩スペイン村」ということで、某ヨーロッパの研究者が、「飛行機に12時間ものってやって来たのにスペインだった」といって笑わせていました。温泉もあり、ゆっくりしていただけたかと思います。

メイン会場での講演風景

  

ポスターセッションでの熱い議論

鳥羽の駅で、Demain先生が、15年前に「ホテルニューみしま」で開催したことを覚えていてくれて、ボートで海を渡ったことをKataeva先生に説明していたことが、個人的にはうれしかったです。


過去3回、外国の有名研究者、国内の大先生、とにかく明るく盛り上ったと思います。国内の学生さんの輪もできました。またこの会議で、外国へのポスドク先をみつけて出かけて行った学生もいます。国内で開催され、外国の有名な先生方が、これだけ集まる会議は他にありません。短い期間ですが、議論できる時間はたくさんあります。この1週間で、世界のセルラーゼ研究動向がわかるというお得な会議です。最近出版された論文のなかで、三重バイオフォーラムの話が出ていました。「Harry Flint, Raffi Lamed, and Ed Bayer met at the 1998 Mie Bioforum, held in Suzuka City, Japan, hosted by Kunio Ohmiya, Kazuo Sakka, and Kiyoshi Hayashi. They began discussions on the possible existence of the R. flavefaciens cellulosome, based on the previous discovery of dockerins in several R. flavefaciens enzymes from work in Harry's lab.」と、「At the next Mie Bioforum in 2003, Bryan, quite out of the blue, presented Harry with a computer disk carrying the partial genome sequence of strain FD1.」(Bayer, E., et al., From Cellulosomes to Cellulosomics, Chem. Rec., 8: 364-377, 2008)こうして、少しでもこの分野のひとの交流に役に立ち、話題になれば、うれしいですね。

1993年三重バイオフォーラム、鳥羽にある「ホテルニューみしま」で開催いたしました。セルロソームの骨格タンパク質のクローニングされ、セルロソームの全容が見えて来た頃です。セルラーゼ遺伝子のクローニングが盛んに行われ、セルラーゼファミリーが拡大しつつありました。セルラーゼのモジュール構造をはじめ、一口にセルラーゼと言われている酵素が、いかに多様であるかが明らかになりつつありました。パスツール研のBeguin博士、カリフォルニア大学Doi先生、コーネル大学Wilson先生、マサチュセッツ工科大学Demain先生、テルアビブ大学のLamed先生、ローウェット研究所のFlint先生など、当時のリーダーが議論してくれました。夜遅くまで、カラオケをして、みんなでビートルズを歌ったことは忘れられません。音楽は、共通言語だと心から思いました。まだまだ、駆け出しの頃、メールもなくて、海外とのやりとりにファクスを随分使ったことを思い出します。会議後、CMCーコンゴレッドによるセルラーゼ生産菌の検出を開発したTeather先生が、三重大学で講演してくれたことも忘れられない思い出ですね。

1998年三重バイオフォーラム 「鈴鹿サーキットホテル」で開催いたしました。セルラーゼのクローニングから、構造やそのメカニズムに話題がうつってきた頃です。CAZyを作ったフランスCNRSのHenrissat先生、スウェーデン王立研究所のTeeri先生、イスラエルワイツマン研究所のBayer先生、ジョージア大学のLjungdahl先生も参加され、活気ある会議でした。ポスター会場で、深夜まで議論しました。自分の英語の実力のなさにがっかりした会議でもありました。バンケットで、ピアノの演奏を聞かせてくれたロチェスター大学のWu先生、バンド演奏をしてくれた学生さん、この業界のタレントの豊富さにおどろきました。個人的には、バスでコースを回れたこと(バスのアナウンスで、中嶋悟が車をとめF1を引退したところ、セナがクラシュしたところなどコースでの歴史を語ってくれた)、鈴鹿サーキットのコントロールタワーでチェッカ−フラッグが振れたことが、忘れられない思い出です。

2003年三重バイオフォーラム ヤマハリゾート「合歓の里」で開催いたしました。セルラーゼもゲノムの時代になり、北米コンソーシアムゲノムプロジェクトのオハイオ州立大学のMorrison先生をはじめ、ブリティッシュコロンビア大学のWarren先生、新しい局面に入った感じがありました。ミュンヘン工科大学のSchwarz先生が、琴の演奏に飛び入り参加して、演奏していたのがおどろきでした。日本の学生さんたちが、もりあがって、元気だったことが印象的でした。


三重バイオフォーラム 組織委員