シベリア・ツンドラ湿地土壌の調査 要  旨  1997年夏、連続的永久凍土地帯であるシベリア・チクシの小川流域5km2において地 形と土壌調査を行い、植生を重ねた土壌細密図と土壌断面図をまとめた。そして地下水位 と植生に着目して土壌の分類を行い、ツンドラ湿地の土壌生成について考察した。調査の 結果、永久凍土地帯のツンドラ湿地では、植生は地下水位の影響を受け、また地下水位は 微地形の影響を強く受けていることがわかった。土壌分類と広域の水文特性との関連が今 後の課題として残された。 キーワード:シベリア、ツンドラ湿地、土壌生成、永久凍土、土壌断面 1.はじめに   近年盛んに議論されている地球温暖化に関連した諸現象が最初に発現する地域とし て、極地が注目されている。地球環境の変化や気候変動は土壌と強く関係していると思わ れる。また、気候変動幅は高緯度地域ほど大きく生じることがミランコビッチによって示 されている(北極環境調査隊, 1995)。したがって、極域の土壌を調べることは、低緯 度地域ではみられないような地球規模の現象の変化をセンシティブに捕えることにもつな がる。   地球上には全陸域の14%にあたる21×106km2の永久凍土(permafrost)が存在し ている。永久凍土とは土や岩が年を通して凍り続けている状態と定義されているが、その 最も広大なものはロシアにあり、東シベリアを中心に11×106km2と広がる。地域によっ ては永久凍土の深さは1000mにも達すると言われている(日本雪氷学会, 1990、木下誠 一, 1980)。   微生物に由来するメタンの発生は、主に湿地で起こっている。世界の自然湿地の分 布は偏っており、代表的な湿地の一つに永久凍土地帯のツンドラ湿地がある。永久凍土地 帯の湿地では、凍土の表面が融解している間に大量のメタンが生成されている(曽根敏雄, 1994、Tomoko NAKAYAMA, 1993)。更に、シベリア、アラスカ、カナダ北極海地域 の永久凍土の下には数100mの厚さで高濃度のメタンが水和物(hydrate)の形で閉じ込め られている(松本良, 1996)。永久凍土が融解するとこのメタンは大気中に放出される。 メタンは二酸化炭素と同様に温室効果ガスの一つであるため、最近の地球温暖化が永久凍 土の融解に与える影響が問題になっている(福田正己, 1995、仲山智子, 1995)。   永久凍土の地表は毎年夏に数十cmだけ融けるが冬には全てが凍結する。夏期に融 解するこの地表面付近を活動層と言う(日本雪氷学会, 1990)。ツンドラ地域は気候、 植生、母岩、地形いずれも単調である。しかしながら、0℃以上に気温が上昇する夏の短 い間、地表面にはスゲ、コケを主とする植物が繁茂し、活動層ではもぐらやみみずなどの 小動物をはじめとして、多くの微生物が活発な生命活動をおこない土壌を生成している。 地球上の一般的な土壌圏の縮図がツンドラ土壌には存在する。したがって、永久凍土地帯 のツンドラ湿地土壌の生成を調べることは土壌生成の基礎的なメカニズムを考察すること にもなる。また、こうした極域の気候や土壌の生成メカニズムを調査することは、極域や 高地の土地利用、さらには火星などの宇宙開発の土台ともなり、現在多方面において必要 と思われる。   筆者らは幸いなことに、1997年GAME (GEWEX Asian Monsoon Experiment) / Siberia夏期調査隊に同行し、ツンドラ湿地土壌の調査を行うことができた。本稿では、 未だその全容がほとんど紹介されていないロシア・シベリアのツンドラ湿地土壌に関する 調査結果を報告し、ツンドラ湿地土壌の生成について考察する。 2.調査地点および調査方法   チクシ(北緯71度38分、東経128度52分)(Fig. 1)は東シベリア、サハ共和国 (ロシア)のラプテフ海に臨むレナ川河口近くの港町である。調査地は典型的なツンドラ 湿地(Fig. 2)が広がる小川流域5km2である。チクシの年平均気温は-13.4℃で年較差 は40℃を越える。年降雨量は241mmで、主に夏の降雨による。夏季は曇天、霧雨が続き、 冬季は晴れ寒風にさらされる極域の気候である。チクシ近郊は連続的永久凍土地帯に属し、 ツンドラポリゴンやアースハンモックなど凍土地形(Fig. 3)が広く分布している。   調査期間は1997年8月12日〜9月10日である。この間の最高気温は7℃を越え、活 動層の厚さは30〜70cm程度と凍土の融解が最も進んだ時期にあたる。調査期間中9月5 日に初雪を向かえ以降、土壌表面が再凍結をはじめた。小川と平行および垂直の測線( Fig. 4波線)上を25m間隔に、活動層の厚さ、地温、植生等を測定した。また幾つかの 点では幅50cm×50cm、深さ50cm以上のピットを掘り(Fig. 5)、土壌の断面、透水 性、含水比、および土質を直接観察した。 3.調査結果 3.1地形と植生分布   Fig. 4は調査流域の地形図に植生分布を重ねたものである。△で示した山頂の標高 は最大で304.5m、低地となる湖近くで38mであり、流域内には250m程度の標高差があ る。小川と流域の境界を実線で図中に示した。数十cmの活動層の下には難透水性の永久 凍土が連続的に存在している。この流域は5月に融雪期を向かえるが、山間や谷合などは 9月においても雪渓(斜線)が残っており、この雪と永久凍土の融解水およびわずかな降 水が土壌に供給されている。土壌水は地下への浸透を凍土に妨げられており、土壌全域が 湿潤となっている。   ツンドラの植生は礫場の岩肌など見られる地衣類(lichen)、湿潤なコケ( mosses)、スゲ(sedges)と スゲやコケの群落中に見られる幾種かの草花(grasses, forbs)及び矮小な潅木(low shrubs)からなる。流域内は夏期、スゲとコケでほとん ど一面が覆われており、植生分布はFig. 4のように大別できる。川べりの礫場をのぞき、 標高150m以下の所では地下水位は±10cm以内である。スゲとコケは明確に場所を分け て成育しているわけではないが、地下水位が若干低い所と、湛水している所ではスゲが優 位種であり、地下水位が数cmの所ではコケが優位種となっていた。コケの上には沢山の キノコが目についた(Fig. 6)。標高150mを越すと途端に地下水位が50cm以上と急に 低くなっていた。これに伴い、標高150mを境に植生はほとんど無くなり、わずかな水分 で成育できる地衣類の点在する礫場となる。 3.2土壌断面   Fig. 4中の波線に沿ってピットを掘り、土壌断面を観察した。活動層の土壌断面は 植生と地下水位に着目すると4種に大別でき、土層は上下2層に分けられた。   スゲ優位湛水土壌(Fig. 7a)は低地で常時地下水位が2cm〜地上10cmと高いと ころにみられる土壌である。地表面にはスゲ(Fig. 6a手前)が成育しているが、その植 生密度は500 本/m2と低い。上層は20〜30cmで褐色の低位泥炭層である。土壌調査ハ ンドブック(ペトロジスト懇談会, 1984)の表記法に従えば、上層の緻密度は疎、粘性 は弱である。軽度に分解が生じているが、ほぼ完全に植物遺体の判別ができる。下層は中 密灰色の極めて粘性の高い重粘土層でグライ化もみられる。上層と下層の境は不明瞭であ る。この時期の活動層の厚さは40±10cmであり、それ以下は母岩の特質を強く残した凍 土となる。凍土の融解面近くでは細礫を含む。   コケ優位土壌(Fig. 7b)は、低地で地表面が湛水していないところにで主に見ら れる土壌である。地下水位が2〜8cm程度で生活層(ペトロジスト懇談会, 1984)(生き た植物の層)は数cm〜20cmの厚く群生したミズゴケ(Fig. 6b)からなる。10〜 20cm厚の上層は茶褐色でコケの細根を含む高位泥炭である。粘性は弱く極疎。腐植に富 み、かなり分解が進んでおり植物遺体の判別はほとんどできない。水位が5cm以下の場合、 みみずやもぐらの穴をみかける。下層は灰色中密の重粘土からなり、稀に板状の礫を含む。 上層と下層の境は明瞭であり、活動層の厚さは30±10cmであった。   スゲ優位非湛水土壌(Fig. 7c)は山の裾野や標高がやや高いところに広く見られ る土壌である。地下水位が2〜10cm程度で地表にはスゲ(Fig. 6a奥手)が高密度で成 育しており、コケを始め種々の植生の群落が中に点在している。数cmの植物遺体の下に 暗褐色の粘土質の上層がある。疎密で中粘性、腐植に富み、みみずなど土壌小動物がみら れる。下層は明瞭に別れており、細礫を含む灰色中密の粘土である。活動層厚は40± 10cmであった。   標高150m以上の土壌(Fig. 7d)では地下水位が50cm以上と低く、地表に露出 した礫に地位類が付着している。土層は発達しておらず礫が堆積している。礫の径は下方 ほど小さくなり、凍土の融解面近くではその間隙に粘土を含む。活動層は50cm以上と厚 い。   流域中の母岩はほぼ一様で、中世代に堆積したと思われる板状に剥がれる砂質泥岩 であった。Table 1のような鉱物組性からなり、薄片の顕微鏡観察からは変質はほとん ど見られなかった。母岩にはカリ長石を含む石英脈がみられることから、過去の火成活動 もうかがえる。 3.3活動層内における土壌の物理性の変化   Fig. 8にスゲ優位非湛水土壌における温度、含水比、密度及び飽和透水係数と深さ の関係を示す。スゲ温度は生活層の中では気温と同じかまたはそれ以上に高い。地温は地 表面から深さと共に低くなり、凍土の融解面でおよそ0℃に達する。含水比は表層で高く、 上層で低くなり、下層では再び高くなった。逆に密度は表層で小さく、上層で大きく、下 層ではやや小さくなった。また透水係数は表層から深さと共に小さくなった。優位湛水土 壌やコケ優位土壌の物理性の変化もほぼ同様の傾向がみられた。   スゲやコケに地表を覆われた土壌の表層は植物遺体が多く孔隙率が高いため、密度 が小さく、透水性がよい。また含水比が大きいのは、この孔隙に雨水と融雪水が保持され るためであろう。上層では腐植が進み、下層の粘土との混合もあり、土は締まっている。 このため密度が相対的に高くなり、含水比が小さく、透水性も悪くなったと思われる。下 層は重粘土の層であるが、密度が中層よりやや小さくなるのは凍結融解による撹乱を強く 受けているためであろう。また、含水比が大きくなったのは凍土の融解水や浸透水が永久 凍土によってその動きを制限され滞っているためであろう。透水係数は含まれる礫の量に 比して大きくなった。   礫地は土層にほとんど差はなく、密度、透水性にも差は見られなかった。表層、上 層にほとんど水分はなく、礫表面がわずかに湿っていた。 4.考察   調査を行った周辺の母岩は均一であった。大きな断層もなく土壌は気候変動を等し く受けてきたと思われる。また、大木や急な斜面もなく風や日射、温度、降水など気象条 件の変化も、長期間、空間的にほぼ均等に与えられてきたと思われる。こうした土壌の特 徴は地下水位と、それに伴う植生によって生じると考える。Fig. 9は結果を基に作成し た土壌の断面と水位、植生の関係である。図上段には標高と、活動層厚さ、永久凍土面、 地下水位の位置関係を概念的に示した。地下水位の変化は、数mスケールの地形の変化に よって生じる。活動層の厚さは地下水位が高いところと低いところ(礫場)で厚く、地表 面に近いところで薄い。図中にはみみずなど土壌小動物が見られる地帯も示した。   図中段には上段で示した地下水位に対する、植生および土壌断面を示した。矢印に 沿って土壌の層化が生じている。山頂地中には、ほとんど風化を受けていない母岩も見ら れる。凍結融解作用によって母岩は毎年破砕され、土壌は撹乱される。この結果、下層に は母材の特質を強く残した粘土が広く分布し、特に最大融解面近くでは細礫が多くなる。 この下層は排水不良で還元状態にありグライ化も生じているだろう。植生の名称は図下段 に示した。矢印はその植生のみられる地帯を示している。   調査地には粘土が地中から湧きだしているような地形が所々に見られた(Fig. 3d)。 これらは、秋に土壌が地表面から凍結していく時に被圧されたこの下層が、物理的に弱い 所から吹き出して出来たものであろう。   地下水位が高いところほど有機物の分解速度は遅く泥炭質となり、層位はあまり発 達しない。こうした土壌は嫌気性となり、夏の間メタン生成菌や硝化還元菌の活動がみら れるだろう。一方地下水位が数cmを越え低くなると、脱窒菌など好気性菌やみみずやも ぐらなどの土壌小動物の活動もみられるようになり、層位の発達がみられるようになる。   活動層の厚さは裸地で最も深く、生活層が厚いほど浅くなる。これは、裸地は暗灰 色とアルベドが低く融解しやすいことに加え、植生自体が断熱層としても働き永久凍土の 融解を妨げているためである。また、コケ層は他の植物層に比べ空気を多く含み断熱効果 が高いため、この傾向が顕著に現われる。Fig. 10は今回観測した地点での活動層の厚さ と生活層の厚さの関係であるが、以上の傾向を良く示している。   シベリア・ツンドラ湿地の土壌は、以上のような成因が長期に渡り維持され、また 繰り返されて生成していると思われる。また、Fig. 9に示された土壌の分布から、ツン ドラ湿地の水文的特長を裏付けることも可能だと思われるが、これは今後の課題としたい。 5.おわりに   1997年8月〜9月にかけ、シベリア・ツンドラ地帯の地形と土壌調査を行い、植生 を重ねた土壌細密図と多くの土壌断面図にまとめた。そして地下水位とそれに伴う植生に より土壌の分類を行い、その生成について検討した。調査の結果、永久凍土地帯のツンド ラ湿地では、植生は地下水位の影響を受け、また地下水位は微地形の影響を強く受けてい ることがわかった。今後はこうした土壌分類と広域の水文特性との関連を詳しく調査して いきたい。   謝辞:母岩の分析にあたり愛知教育大学浦野隼臣氏、静岡大学黒田直氏にお世話になっ た。慣れない野外調査に関しては東京大学井本博美氏、北海道大学低温科学研究所原田鉱 一郎氏に貴重な助言を頂いた。本調査はGAME/Siberia計画の一環で行ったものである。 同行した北海道大学低温科学研究所の佐藤軌文氏始め、現地では多くの人にお世話になっ た。関係各位に感謝いたします。 参考文献 木下誠一(1980):永久凍土, 古今書院, p. 203 曽根敏雄(1994):シベリア、ヤクーツク西方の湖における  メタン発生源としての湖周辺の湿地の微地形分類, 低温科学  物理篇, 第53輯, p. 51 Tomoko NAKAYAMA and Akitane AKIYAMA(1994):  Measurement of MethaneFlux in a Tundra Wetland,  Mustakh Island in 1993, Proceedings of the Second  Symposium on the Joint Siberian Permafrost Studies  between Japan and Russia in1993, p37 仲山智子(1995):北海道・大雪山における最終氷期以降  の永久凍土の厚さの変化の推定, 雪氷, 57巻 2号, p. 125 National Research Council Canada(1988):Glossary of  Permafrost and Related Ground-Ice Terms, National  Research Council of Canada, p.34, 43, 73, 87 日本雪氷学会編(1990):雪氷辞典,古今書院, pp. 8-9 福田正己、佐藤利幸(1995):気候変動がシベリア永久凍土  に与える影響, 学術月報, Vol. 48 No. 5, p. 471 ペトロジスト懇談会編(1984):土壌調査ハンドブック,  博友社, p. 80 松本良(1996):海底下に固体状のメタン、ガスハイド  レートを探る-ODPLeg164の成果とメタンハイドレート  研究の展望-, 月刊地球, Vol.18 No.10, p. 634 北極環境調査隊 (1995):北極環境調査隊中間報告  -西半球編-,北極環境調査隊事務局, p.62 Soil Investigation at Natural Wetlands in Siberian Permafrost Area Abstract Soil and landform of natural wetland in Tikci in Siberian permafrost area were investigated during the summer of 1997. Vegetation map and soil cross sections have been reported in the present paper. As the result of the investigation, we found that vegetation changed with ground water level which was strong affected by microlandform. On the basis of soil classification from the soil cross sections, the vegetation and freezing-thawing action, soil formation at tundra permafrost area has been discussed. The soil classification will be one of the most important factors which determine hydrological properties of the tundra permafrost area. Key words: Siberia, tundra wetlands, soil formation, permafrost, soil cross section