中国レポート

中国という国へはじめていきました。いろんな体験をしました。今回は、広西チワン族自治区の州都、南寧にあります広西大学に行きました。広西大学は、三重大学の大学間協定校でもあり、三重大学で学んだことのある先生もたくさんみえます。南寧は、300万人くらいの人口のある大きな街ですが、それでもあまり日本では知られていません。

中部新空港から、空路上海へ、いきなり飛行機が遅れ、乗り換え便に間に合うかというピンチ、というのも、国際線は、上海浦東空港、国内線は、虹橋空港ということで、バスでの移動の予定でした。ところが、飛行機が遅れ、おまけに入国審査が大混雑、入国審査に1時間くらいかかり、銀行での両替も、タクシー乗り場も長蛇の列。絶望的になりながらも、なんとかタクシーに乗れました。とにかく、国内線の飛行機のチケットをみせて、これに間に合うように行ってくれといったら、がってんだといわんばかり、とばすとばす。車線を端から端まで使って走る走る、時速130キロくらいで走りまくり、とにかくスリル満点というか、その走りにびびりましたが、なんとかチェックインに間に合い、無事、南寧まで行くことができました。中国のタクシーおそるべし。

南寧は、亜熱帯というだけあって、街にはヤシの木やバナナが茂っているようなところ、ところが、今年は異常に寒いとのこと。確かに寒い。冬の衣服をもっていって正解でした。

おどろいたことーその1−広西大学は、とにかく敷地が広い。私が宿泊していたところは外国人講師用の宿泊施設でしたが、正門から歩いたら20分以上かかります。そして、実験室までも20分くらい歩きます。端から端まで、1時間以上歩かないといけないと聞きました。学内には、専用のバスが走っていますし、輪タクも走っています。いきなり中国の先生が、携帯でタクシーを呼んで、校舎の前から、正門まで乗っていったのには、おどろきました。タクシーもよく来てくれるもんだと感心してしまいます。いやー、カリフォルニア大学デイビスも広かったですが、ほんとうに広い、その広さ、おそるべし。

おどろいたことーその2−学内にはお年寄りや子供の姿、それも授業時間内でも、まるで我が家のように歩いている。大学の敷地がでかいので三重大のように外部のひとが歩いているとは考えにくいと思っていました。広西大学では、ほとんどの教職員は、学内にある官舎に住んでいるそうで、その家族などが住んでいるからと聞きました。なるほど。ところがさらに日本と異なり、退官された先生や職員の方も住むことができるということ、これだけでもびっくりですが、さらに、その退官された元先生や元職員が亡くなっても、その子供にかぎり、官舎に住む権利を有するということで、実際に大学で働くひとたちの官舎と、退職したり、元先生の子供さんたちといった現在の大学に関係のない人たちの官舎が、大学の敷地内にあるという実態。こういう人たちだけでも3000人はいるという数字にも、ちょっとびっくり。どうりで、昼間から太極拳をやっているおじさん、おばさんが、多いわけだ。大学の教職員への待遇、おそるべし。(これには、つづきがあって、その官舎の豪華なこと、日本では考えられないような広さ、いわゆるマンションの2階を利用したメゾネットタイプ、リビングは30畳ほどで、2階までの吹き抜け、ダイニングも15畳はあるでしょうか、トイレだけでも4カ所、このリビングだったら、50インチを超える液晶テレビをおいても違和感はないなあと思いました。まさに経済発展を続ける中国を象徴しており、おそるべし)大学には、学生が2万人も住んでいて、何千もの職員と元職員が住んでいて、大学がひとつの街になっていました。別なところから、タクシーで来たとき、構内に入ってくれといったら、門で勘弁してくれという。どうしてかというと、以前、構内にはいったのはいいが、出口をみつけるのに1時間近く構内を走ったことがあるとか、迷路というほどでもないと思うが、建物などを見失うとたいへんかも、広西大学、おそるべし。

おどろいたことーその3−携帯電話の普及率。みんながんがん携帯電話を使っていました。学生の三種の神器といえば、携帯電話、MP3プレーヤー、ノートパソコンだそうです。とにかく、携帯電話は、中国で、本当にポピュラーな道具になっていました。タクシーの運転手が、運転中にいきなり携帯をかけるのにはびびりましたが。ただ、タイの学生は、実験の合間に、DVDでアメリカの映画を見ていましたが、中国の学生はそこまでコンピュータをつかっていませんでした。論文をダウンロードしたり、ヤフーをみたりしていました。ゼミなどでは、パワーポイントを使いこなしていました。飛行機が着陸するとみんな一斉に携帯を取り出して電話をかける様子は異様でした。携帯電話おそるべし。

おどろいたことーその4−南寧という街では、歩行者は、どこでも自由に道路をわたります。もちろん、自動車も普通に走っているのですが、どこでも、好き勝手に、渡りたいところを平気で道路に出てきます。その渡り方にこつがあって、それが日本人には、とてもむつかしいのです。とにかく、日本人の感覚では、渡れないところを平気でわたります。片側3車線の道路に、ゆっくりと入っていきます。ゆっくりとです。けっして走ってはいけません。ゆっくりとあるいて、車線のラインの上でとまります。ゆっくり歩くことで、車はひとをよけていきます。こうして、ひとつ、ひとつ、車線の上で止まって、すすんでといった具合に渡るのですが、車線で立っているとき、前と後を車が走っていくのは、本当にびびります。信号でも赤でも強引につっこんでいくので、タクシーでも、思わず、ドアのとってをにぎることが何回かありました。中国の交通ルール、おそるべし。

おどろいたことーその5−南寧という街への電気の供給は、水力発電に頼っているということでした。雨がふらないと渇水で、電力が止まってしまうそうです。また、それとは別に停電も2回ほどありました。実験中に停電になっても、学生は気にしていない様子。おいおい、PCRが途中なんだけど。しばらく、怖くてエレベータに乗れませんでした。インターネットも不安定でした。一日、ほとんどつながらない日があり、学生さんにハブや、ルーターを調べてもらったりしたのですが、結局、工事で、つながっていなかっただけでしたが、どうして、工事ですというアナウンスがないのでしょうか?おそるべし。

おどろいたことーその6−休日に、南寧から桂林に鉄道で行きました。13両編成のダブルデッカー車でほぼ満員でした。すごい人です。桂林まで470キロほどあるとのこと、約5時間の道のりです。保線がいいせいか、あまり揺れずに、おまけにかなり高速で走りました。470キロも乗って、65元(日本円で、910円)という安さ、津からなら名古屋まで行けない値段です。ちょっとびっくりする値段です。もうひとつびっくりしたのは、車内放送で、いきなり「中島みゆき」が流れてきたこと。きっと中国の歌手がカバーしているからだと思うのですが、おもわず、「ひとり上手」をくちずさんでしまいました。実は、今回の3週間のあいだに、何回か「中島みゆき」の曲を聞く機会がありました。ちょっとびっくりでした。「中島みゆき」おそるべし。

おどろいたことーその7−中国では、いろいろなものを食べるのですが、今回もいろいろなものを食べました。うし、ぶた、とりはもちろんのこと、「うさぎ」「あひる」「がちょう」「らくだ」と食べました。「中国では、自動車以外、動くものは何でも食べるそうですね」と言ったら、「日本では、潜水艦以外、海のなかで動くものは何でも食べるそうですね」と返されてしまいました。とにかく、血中中性脂肪が高い身としては、中国料理の脂の多さにはまいりました。やばいなあと思いつつ、できるだけ、脂のないところを選んで食べました。中国料理の脂、おそるべし。

おどろいたことーその8ー帰りに乗り継ぎで上海で1日過ごしました。上海は高層ビルが建ち並び、完全に都会で。まったく日本と同じ感覚でした。浦東空港へ向うときに、上海リニアに乗りました。そのスピードにびっくりしました。なんと時速430キロなんです。動きはじめは、新幹線のような感覚でしたが、300キロを超えてからは、別次元でした。400キロをさらに超えて、ちょっとびっくりする速度、車窓の流れがなんともすごい。飛行機は確かに700キロ以上でますが、離陸するときは200キロくらいなので、400キロというスピードは、地上を走る乗り物では、一番はやいのではないかと思いました。いやー、本当に早い、これで40元(日本円で、560円)という安さ、これでは、きっと赤字だろうなと思いつつも、中国のリニアモーターカー、おそるべし。

おどろいたことーその9−スーパーで、買い物をしました。中国の商品にも日本語の表示が結構あります。タイにいったときもありましたが、中国にもありました。いくつかはよく理解ができました。「デザインがあたらしい」と書いた乾燥芋などもありましたが、なかには、意味不明なものもありました。カタカナで、「ダットヒ、トハタモベ」と書いてあります。???何かの暗号か?、おそるべし。

おどろいたことーその10−中国にもケーブルテレビがあり、私の宿舎のテレビもつながっていました。50チャンネルくらいあって、中国各地のニュースチャンネルから、スポーツ、経済、映画などなど、コンテンツも豊富です。BBCやNHKーBSも入っていて、それなりに海外の情報もはいっていることがわかりました。ちょっと書けないようなコンテンツもあり、エンターテイメントとしてのテレビが定着し、「社会主義の国家」というイメージが吹き飛んでしまいました。中国のケーブルテレビ、おそるべし。

失敗ーその1−中国の先生とレストランに行ったときのこと。お茶がでて、スイカの種がでました。みんな、それを食べているものですから、私も食べました。すいぶんと堅いものを食べているなと思いながら、ばりばりとスイカの種を食べていました。ふと、みると中国の先生のところには、スイカの種の殻が残っているではありませんか、それをみつけた中国の先生が、おお笑いをして、殻は食べられません、歯で、殻を割って中身を食べるのだと教えてくれました。随分たくさんの種を食べてしまいました。これが縁で、そのあと、スイカの種が好きになり、買って食べてました。

失敗ーその2−中国について、宿舎で一晩過ごした朝、部屋をノックする人がいて、出てみると若い女性がたっていた。何かいっているけど中国語で、さっぱり?、英語で、クリーン?といっているので、「昨晩来たところなので、今日は、掃除の必要はない」といったつもりだったのですが、次の日も、次の日も、1週間たっても掃除に来てくれない。だんだん部屋は汚れくるし、掃除道具を買ってこないといけないかなと思った頃、中国の先生に聞いてもらったら、あの日本人は「掃除の必要はない」と言ったからとか、いや、私がいったのは、「今日は必要がない」だったのに・・・・・・。それからは、毎日、掃除にきてくれました。コミュニケーションは難しいというか、掃除のお姉さんの勝手解釈、おそるべし。

最近の私に戻る