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12月某日 ふりかえると、結局4つあった国際会議も無事に終わりました。法人化対策についても、なんとなく見えてきました。研究室の引越も無事にすぎ、4年生の進路もそれなりに決まり、なんとか1年無事にすみました。皆さんよいお年をお迎え下さい。

12月26日 例年よりも2日はやい仕事納めです。といっても、緊張感がないというか、なんとなくやり残していることがありそうな仕事納めです。法人化にむけて、いろいろな調査や書類が山のように、きているのですが、同じく山になっている実験のレポートなどなど・・・・それでも去年よりはましかという感じです。

12月24日 研究室大掃除 少しだけ部屋の模様変えをしました。

12月22日 今年の講義が終了しました。なんとか12月を乗り切りました。毎日、やることがいっぱいで、期限の切られないものがたまる一方です。仕事納めまでに片付けないとと書類の山をみるのであります。

12月某日 今年もお遊戯会がやってきました。津市内の写真屋さんでASA1600のフィルムを探しましたが、置いてなくて焦りました。8回目(1回出張で休み)の会でしたが、昔に比べて踊りのそろいが悪くなっているのが気になります。先日、某高校の先生とお話をする機会がありました。大学は、高校の歪みを、高校は中学の、中学は小学校の、小学校は幼稚園や保育園の、幼稚園や保育園は家庭の・・・・というわけで、それぞれがいろいろな困難を背負っていて、問題は、家庭教育にあるのかもしれないと思うのですが、家庭は家庭で社会の歪みを背負い込んでいるような気もします。

12月某日 ついに、今年も師走がやってきました。個人的には、12月は忙しいのひとことにつきます。月火水と学生実験で、木金と講義があります。例年、あっという間の12月ですが、今年も、あっという間どころか、「あ」もいう前に正月がやってきそうな感じです。

11月27日 推薦入試 試験担当です。推薦入試を含めて、資源循環学科には、3回の入試のチャンスがあるわけですが、一番倍率の低いのが、推薦入試です。資源循環学科でいっしょに研究したい高校生の皆さん、ぜひチャレンジしてみてください。

11月15日 ルーメン研究会 バイオフォーラムに参加されたローウェット研究所のフリント先生、オハイオ州立大学のモリソン先生、フランスINRAのジョアニ先生をむかえて、ルーメン研究会が、三重大学で開催されました。先に急逝された小野寺前研究会会長の追悼の会で、ありし日の小野寺先生の写真をパワーポイントでうつし、先生のご冥福を祈りながらながらの研究会でした。

11月10日〜14日 三重バイオフォーラム03 93年(鳥羽)からはじまり5年ごとに開催してきました「三重バイオフォーラム」も、98年(鈴鹿)をへて、03年を迎えました。今回は、「合歓の郷」での開催で、参加人員も多く、盛り上がりました。何人かの先生や学生さんに「いつもHP見ています」と声をかけられました。はじめて会うひとに「これが新しい携帯ですね」なんて言われるとちょっとびっくりです。インターネットの威力におどろきます。HPの更新が悪いと指摘もされました、分かってはいるのですが・・・・、会議が無事終了して組織委員のひとりとしては、ほっとしたというのが正直なところです。他大学の学生さんともいろいろな話ができ、本当に有意義な時間を過ごせました。

11月某日 海でさんまを焼いて食べる会 幼稚園の行事で、砂浜でさんまを焼いて食べました。天気もよく、やはりアウトドアは、この時期かなと思います。さんまの場合、あまり炭火が強くないほうがよく焼けました。

11月某日 労働基準監督署に行きました。来年4月の国立大学法人化への移行で、放射線施設もこれまでの人事院規則から電離放射線取扱規則(電離則)へと対応する法律が変わります。これにともなう措置についてお話をうかがいに行きました。久しぶりに生命科学支援センター総合アイトープ部門の3施設の担当者が集まり、監督署から帰ってからも、対応について協議できました。電離則の勉強もしないといけませんが、なんとなく4月に向けての移行措置のスケジュールが見えてきました。

11月2日 今年も、大学祭寄席を開催しました。残念ながら、選挙の影響で、いろんな行事がこの連休にかぶり、寄席に参加できませんでした。寄席に出てくれた学生から、逐次携帯メールで報告をうけながら、ハンドベースの練習試合に出ていました。審判をしているときにメールがきたりして、携帯電話による情報の流れは、思ったよりもすごいと感心してしまいました。

11月1日 大学祭 例年とあまり差はなかったと思います。ただ、今年は講堂のロビーで、いろいろな研究分野が研究紹介をしていました。これはいままでになかったことで、よかったかと思います。もう少し、気軽に入れるような工夫というか、人の流れができればよかったかもしれません。今年も、講座2年生に研究発表をお願いし、2チームの発表がありました。なかなか増えてはくれませんが、来年以降も続くといいなあと思いました。子供を連れていったのですが、会う学生、会う学生が「先生にそっくり」というものですから、少しすねていました。あまり親に似ているといわれたくないようです。

10月某日 これまで抵抗していましたが、ついに携帯電話をもってしまいました。その多彩な機能におどろきです。小型のコンピュータを持って歩いている感覚かもしれません。新しい「おもちゃ」がひとつ増えた感じですが、果たして「おじさん」に使いこなせるかどうかが不安です。

10月某日 神戸にいきました。ルミナス神戸(船のレストラン)の明石海峡大橋のランチクルーズに行きました。橋を車で渡ったことはありますが、海の上の船から見上げるとその大きさに驚きます。行き帰りがバスなので、船上でワインを飲むことができ、ほろ酔い気分で海風にあたりながらクルージングを楽しめました。

10月24日 授業参観 これまで何回か見るほうに参加したことはありましたが、はじめて、見られるほうになりました。いつもの講義とちがって、学生のほうにも緊張感があり、こちらまで伝わってきそうでした。参観された先生から「楽しそうに話されている」と言われました。講義の後、どっと疲れがでまして、やっぱり私も緊張していたようです。いい経験になりました。

10月20日 第10回 三大学国際ジョイントセミナー2003が三重大学で開催されました。今回は、タイから4大学、中国から6大学、韓国2大学、インドネシア、フィリピン1大学、三重大学を入れて、15大学の学生が、4日間にわたり、研究成果を英語で発表しました。私も微力ながら、ひとつのセッションで座長をやらせていただきました。それにしても、海外の学生(undergraduate)の英語の達者なこと。日本のProfessorよりも、よっぽどうまいです。Undergraduateだけに専門的には、今ひとつですが、プレゼンテーションのうまさは、ずばぬけています。日本の学生もしっかりしないと世界どころか、アジアでも通用しなくなるような不安感を覚えました。我々教官も英語で講義ができるように、もっともっとがんばらないといけないと感じました。アジアはホットで、学生たちの元気さをみていると明るく感じます。がんばれ、Japanese students。複数の外国の学生に英語のHPを作ってほしいと言われました。暇ができたらと思いつつこれは何とかしないといけません。

10月15日 化学実験 今年は、4人の教官で、112名の学生を見ています。この日は、私の担当といいますか、私がメインの実験です。携帯の文字打ちは早くて器用なのに、年々メスピペットをうまく使えない学生が増えてきています。ちょっと不安です。我々の学生時代には、「ピペットマン」は高価で、学生はひたすらメスピペットでした。1日に何回もメスピペットをかごにいれて洗ったことを思い出します。昔を語るようになることを「おじさん」化というようですが、ここのところ「おじさん」化に歯止めがかかりません。

10月某日 生まれてはじめて北海道の地に行きました。何度も学会など機会はありましたが、なかなかめぐりあいが悪くいけませんでした。今回は結婚式ということででかけました。中島公園にある豊平会館での式で、建物も重要文化財という、ちょっと大人の雰囲気のする披露宴でした。結婚式というのは、なんとなく出ていていいもので、二人の幼い頃の写真とか紹介されるとジーンときてしまいます。みんなそれぞれの人生があるんですよね。

10月某日 幼稚園の運動会 朝五時半に起きて場所とりにでかけました。ちょっと曇りだったので、ASA800というフイルムを初めて使いました。シャッターを押すタイミングが問題で、ここ一番にかけて撮りましたが、となりのお父さんのカメラは、連写一眼で、取りまくっていました。次男は年長さんなので、長男からはじまった幼稚園の運動会もこれで最後です。

10月3日 循環飼料学のはじまり これから半期の授業のはじまりです。昨年よりも20名ほど受講者が増し、少しやりにくい感じもありました。たくさんの学生さんに聞いていただけるのは、嬉しいことです。

10月2日 学長候補者の公開討論会 次期学長候補者の基本方針等について討論会がありました。これまでの学長選挙とは異なり、今回は意向投票で、最終的な決定は、企業でいう役員会のような選考委員会が決定します。あくまでも、我々が投票できるのは、意向投票なので、選考委会がどれくらい尊重してくれるのかわかりません。もう法人化がはじまったような感じです。

10月1日 後期のはじまりです。さっそく共通教育の化学実験がスタートです。また辞令交付式がありました。今回は、前もって連絡があったので、スーツを着てきて正解でした。A4のコピー用紙1枚でしたが、少しだけ、重みを感じました。皆様のおかげで、本日より助教授となります。

9月某日 渋滞をさけて、裏道に入って、路肩の石に車を擦ってしまいました。新車から、わずか3ヶ月・・・・・。ちゃんと渋滞の列に並んでおけば、こんなことにならなかったと後悔しきり。わずかばかりの時間のために、とんでもないことになって、がっかりでした。

9月28日 学部父母懇談会 学生の父母の方に学部、研究室を見学いただき、教官と個人面談をします。成績表を渡し、単位取得の状況等を説明します。たくさんの参加者があり、それなりにニーズがあるということだと思います。大学を見てもらうことも大切かとも思いますし、教官としてもふだん聞いていない家庭での学生の姿を聞くことができてよいと思います。事務方を含め関係者はたいへんだと思いますが、いい行事のような気がします。

9月26日 フィールドサイエンス実習のまとめ 実習の内容をパワーポイントにして発表してもらいました。2年生ということでしたが、なかなかのものでした。画面のつくりかた、アニメーションの使い方、若いから覚えがはやいのか、センスがいいのか、感心してしまいました。ここの学科では、全員にコンピュータをもってもらうようにしていますが、その効果でしょうか、本当によかったと思いました。

9月22-23日 マリンバイオテクノロジー国際会議2003 千葉の幕張国際会議場で開催された会議にポスター発表しました。思ったよりも興味をもってもらい元気がでました。ついに、500系のぞみに乗ることができました(気分は、鉄ちゃん小学生)。乗り心地は700系のほうがいいように思いました。それでも、通過する駅やいろいろなところで人がこちらを見ているがわかり、あいかわらず人気車両だと感じました。ところで、鉄道好きは遺伝なんでしょうかね。

9月18日 フィールドサイエンス概論の講義 「有用微生物の採取と利用」ということで講義をしましたが、利用の話が多すぎました。大講義室でしたので、教壇での移動距離が大きく、マイクの調子も悪く、声をはりあげたのも効き、疲れました。黒板が使いにくい教室だと思いました。来年からの学科必修が心配になりました。

9月17日 10月入学大学院修了式 3月ほど派手ではありませんが、学長から直接「学位記」がわたされました。大学院を修了されたみなさん、おめでとうございます。

9月某日 阪神タイガース優勝 星野監督の胴あげを不思議な感じで見ました。ドラゴンズファンとしては。

9月某日 国税庁醸造試験所の講習生・研修生の同窓会 私が醸造試験所の五研研修生だった年は、ちょうど阪神が優勝した年で、西武球場へ日本シリーズを見にいきました。あれから18年になります。同窓会は毎年あるのですが、今回はじめて参加しました。18年ぶりの参加です。場所は、飛騨古川、NHKの朝ドラ「さくら」の舞台となった町で、さくらの下宿先となっていた和ろうそく店などを見学しました。また高山にも寄り、高山の酒蔵をめぐりました。

9月某日 ずっと前からもっていた阪神戦のチケット、ひょっとしたらX-dayになるかもと思っていましたが、ヤクルト戦の結果、マジック2で名古屋ドームへ、当日ヤクルトの試合がなかったので、中日が負けても胴あげはなしというゲームへ行きました。しかし、名古屋ドームは、異様な雰囲気で、ライトの外野自由席の9割は阪神ファンという中日の応援がしずらい状況。ここは本当に名古屋ドームかと思うほど、阪神ファンで埋め尽くされていました。いつもなら元気に応援する子供たちも畏縮しており、阪神ファンに「点がはいったんだから、もっとよろこんでいいのよ」と言われる状態でした。

9月某日 何気なく、朝、出勤簿に印鑑を押して、さあ仕事、いろいろ来ているメールをさばいているところへ、学部教官MLで「忘れ物」のお知らせ、「緑のバック」の忘れ物・・・・あー、弁当がない。弁当の入った緑のバックを出勤簿のところへおいてきてしまった。あわてて、事務室へ行き、無事弁当はもどりました。

9月某日 一通のメールが届きました。明らかな間違いメールで、エクセルの添付書類がついてきまいた。「間違ってメールが来ています、確認してください」と返事を書いたのが、敗因でした。返事がどういうわけか、大学の他の教官へ送られ、医学部、工学部、教育学部、人文学部と全ての学部の先生から、私の送ったメールが届いたと連絡をうけました。電話がかかってくるは、どどどっと、メールがくるわで、パニクッてしまいました。教訓ー知らないところから来たメールに返事を書かないこと。びっくりでした、軽はずみな行動で学内の先生方にご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。そのある人のメールアドレスにメールを出すとそこから学内の全教官と事務官のMLかなんかに転送されるようで、その人のところに来るプライベートメールまでは、我々のところに転送されている状況です。インターネットの恐い面を少し見たような気がしました。

9月某日 山田監督の解任 そんな、残り20試合もあるのに・・・、任期3年のはずなのに・・・・、なんで、結果がでていないから?納得いかんなと思いつつ、明日は我が身かも。

8月28日 大学院博士後期課程入試 大学院の博士課程の試験でした。博士課程ともなると、どういう研究をしてきたのか、どういう研究をしようとしているのかが重要になってきます。学位を目指してがんばってください。

8月26日 大学等放射線施設協議会 今年も会議に参加しました。大学における放射線施設は、国立大学法人化に伴う16年の名称変更、予防規定改訂、電離則対応や、17年の国際免除レベル導入による改正法令対応など、すべきことが多いです。放射線取扱主任者にとっては「当り年」になりそうで、作業が多く、気が重いです。

8月某日 鈴鹿サーキットのプールへいきました。ようやく夏らしい日ざしが戻って来ましたが、もう残暑という感じかもしれません。プールは、どこがプールかわからないくらいに人があふれ、少なかった今年の夏を濃縮したような人手でした。とにかく座る場所もないくらいで入場制限をしていました。サーキットでは、1000km耐久レースをやっていました。幸い、グランドスタンド横の指定席券があったので、1時間くらいでしたが、久々に生のエキゾーストノートを楽しむことができました。あいかわらず、1コーナーでの追い越しには、力が入ってしまいます。

8月某日 名古屋ドームに応援に行きました。せっかく阪神に3つ勝って本拠地にもどってきたのですが、広島に2つ負けてしまいました。なんとか、打ってくれと願いをこめて応援しましたが、広島のピッチャーが今日はまさっていたということかと思います。

8月某日 アメリカに行った時の写真を現像にだしたら、何も写っていませんでした。カメラの故障のようで、とっても残念です。Yahooで「セルラーゼ」を検索すると、ここのHPが2130件中のトップに出てくることがわかりました。前は、もう少し下のほうに出ていたのですが、最近、いろんな問い合わせのメールが多くなった理由のひとつがわかったような気がしました。「せルラーゼ」トップとしては、中身の充実をはからないといけないのかもしれません。

8月某日 修士論文審査 欧米の学期の都合などもあり、大学院には10月入学という制度があります。つまり10月入学の9月修了となるわけで、そうなると8月は、審査と発表会ということになるのです。ちょうど2月の半年ずれで、冬は、こたつで論文をみたりするのですが、この時期は、扇風機にあたり、蝉の声を聞きながら論文をみます。

8月某日 わが家では、某社の「○○の達人」がブームでして、結構、みんなで叩いています。私の場合は、少し早いようで、叩いているわりには点数が低いです。小学校のときに鼓笛隊で小太鼓を叩いていましたが、どうもリズム感がないですね。

8月某日 夏期特別休暇 信州の温泉に行ってきました。ゆったりと露天風呂に入りながら、夜空に上がる花火を見ていました。釣ったマスを炭火でやきながら、少しだけ、アウトドアを楽しみました。十数年ぶりに竹馬にのったり、独楽を回したりで、子供達ともあそべましたが、長時間のドライブがきびしく感じるようになってきました。そうそう国道23号で、オービスが光るのを見てしまいました。やっぱり光るのですね、そういえば、・・・・A君も光ったと言っていたなあと思いつつ、アクセルを緩めるのでした。

8月某日 台風 台風がやってきました。長年愛用していた傘が突風で逆転して、壊れてしまいました。ちょっとだけ、ショックです。

8月7日 文部科学省放射線安全課 「のぞみ」で行く東京日帰り出張です。変更承認申請書を専門官にみていただきました。ECDガスクロについての変更でした。こちらの変更はほとんど問題がありませんでしたが、新法令対応の遮蔽計算の添付のほうに問題ありました。ちょっと気の遠くなるような作業ですが、これも主任者の仕事のひとつです。ついでに、国立大学法人化後の申請についてもいろいろ教えていただき、とりあえずは、予防規定の改訂と名称変更は、必ずしないといけませんし、国立大学の場合は、電離則対応をしっかりということでした。

8月5日 学部オープンキャンパス 今年は、講堂で行いました。ポスターにより学科の宣伝をし、生物資源学部を見ていただき、ちょっとした実験を体験していただきました。高校生のみなさん、「どうぞ、資源循環学科を受験してくださいね」という感じです。今年は、RasMolによる蛋白質構造の表示と、アガロースゲル電気泳動によりDNA分子を見ていただきました。暑い中、足を運んでいただいた高校生の皆さんやご父兄に感謝いたします。

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8月3日 帰国 今回は、ラッキーにもアップグレードできたため、ビジネスクラスで往復できました。ゆったりとした椅子、フルリクライニングシート、椅子についた小型テレビで映画も楽しめましたし、ゆっくり眠ることもできました。でも、こんな世界があるかと思うと、これからエコノミーに乗るのがさみしくなりそうです。そんなにラッキーも続かないですからね。

7月27日〜8月1日 セルラーゼとセルロソームに関するゴードン研究会議 アメリカがどかんと予算を注ぎ込んでセルロース分解細菌のゲノムを始めていましたが、糸状菌のゲノムも始まり、「機能ゲノミクス」「比較ゲノミクス」「マイクロアレー」といった言葉が、セルラーゼの世界にも飛び交う時代になってきました。構造解析も進んでいます。アメリカはゲノムベース、ヨーロッパは蛋白質構造・・・・。こういった領域に入っていけないところがさびしいです。今、進めている研究と、全く同じ発想、同じ手法の実験が、報告されて、「もう一年早く取り組んでいたら・・・・」と少し後悔です。考えることは皆同じ、いかに早くするかが課題です。アメリカのように大きなグラントがつくわけはありませんので、力勝負にはでれませんが、「山椒は小粒でもピリッと辛い」ところを見せなければならないと思いました。

7月27日 ボストン ゴードン研究会議は、いろいろなところで開催されます。それには、ボストンからバスが出ているのですが、今回のこの週の日程には、6台のバスが来ていました。バスの時間までのあいだ、少しボストンの街に出ました。地下鉄の工事で、エアポートの地下鉄駅がやっていなくて、バスで、ひとつ手前の駅までいき、そこから地下鉄にのりました。4年前に、初めてゴードン会議に来たときに、空港のあちこち工事をしていたのですが、4年後、まだまだ工事中のところが多いです。ボストンからバスにのって、ニューハンプシャー州アンドーバーにつきました。さっそく食堂に行き、夕食をとってから、さあ、会議のはじまりです。

7月26日 関西空港からアメリカへ 近鉄と南海を乗り継いで関空へ、デトロイトで乗り換えのボストンへ、さすが空港での検査は、ずっときびしくなりました。おかげで、チェックインにも長い列ができ、並ぶのが大変です。デトロイトについてからの入国審査も、どこへ何をしにいくのか?アメリカに来るのは何回めか?前は、何年前で、どこへいったか?などなど、こんなに質問されたの初めてでした。

7月25日 前期の講義の終了とテストのはじまりです。あっという間の前期でした。個人的には、おおきな講義もないのですが、今年は、法人化の調査や、会議が多く、例年になく仕事に追われた前期でした。大学の教官は夏休みが多くていいなあ、なんて考えは甘いです。実際、この休みは、講義がないだけで、いろんなことが待っています。オープンキャンパスをはじめ、大学院入試、などなど。その前に、明日から、8月3日まで、ゴードン研究会議に行ってきます。今年も、ニューハンプシャー州のプロクタアカデミです。ボストンからバスで、2時間半くらいの田舎です。この会議に出るのも、3回目です。2年ごとに集まるセルラーゼ研究者の同窓会のような感じもします。もちろん、最新情報での活発な議論が展開されます。私の場合、まだまだ、議論に参加しているという状況ではありませんが、いろいろな情報が入りますので、参加する意義はあると思っています。

7月某日 ドライブ だいぶオートマにも慣れてきました。昼から明日香へでかけようと西へと出かけたのですが、途中榛原で、道を間違えて、吉野へ出てしまいました。おまけに渋滞に巻き込まれ、高松塚古墳についたときは、すでに営業が終わっていました。やっぱりカーナビか、GPS携帯が必要でしょうか。

7月9日 国立大学法人化法が参議院で可決 ついに来年3月末で、国立大学がなくなります。イラク法での会期延長がなければ、廃案でした。とりあえずは、法人化移行作業がたいへんです。今年度も後半は、忙しくなりそうです。調査書類がどっさりと届きました。

7月某日 立浪選手の祝2000本安打 すごい数字だと思います。この業界でしたら論文500報くらいに相当するんでしょうかね。これまでに30人くらいですから。それにしても、天候不順というか、梅雨らしい梅雨というか、光合成細菌の研究にはつらい日々です。

7月1日 もう7月ということは、今年も後半になってしまいました。残り6か月です。学部編入学試験 来年3月卒業する高専と短大の学生さんの3年生への編入学試験がありました。午前中は、アイソトープ協会の放射性廃棄物の集荷がありました。使用済み放射性同位元素入りドラム缶と排気設備のフィルターをもっていってもらいました。年に一回のゴミだしです。

6月某日 巨人戦から一夜あけて、わがチーム(子供会のハンドベースボール)の今シーズンはじめての練習試合。みんなの緊張感がこちらまで伝わってきそうで、ピッチャーも出だしから、4連続四球。ランナーためて打たれる状態。守備もイージーなエラーが続き、エラーの連鎖が発生し、体が堅くなっている感じ。こんな時、監督として、何ができるのか? 結果は、結果、まあ、だめだしとしてはよかったかもしれません。いろいろの課題が見えた練習試合でした。

6月某日 名古屋ドーム 巨人戦、山本のナイスピッチングで、久々の投手戦、はらはらどきどき、関川がよく打ってくれました。早い展開で、山本のヒーローインタビューを聞きながら帰ることができました。

6月某日 車を変えました。ついにミッションをあきらめ、オートマに乗ります。10年以上乗ってきた車に別れをつげるのは、少しさみしかったです。とくに大きなトラブルもなく、よく走ってくれました。まだ新車の匂いのする車は、DOHCです。学生時代からの憧れでした「いつかは、ツインカムに乗る」。ミッションでないのが残念ですが、運転してみるとオートマがいかに楽かがよくわかりました。ただ、スピードが遅くなったり、ブレーキを踏んだときにエンストするのではないかという恐怖感に一瞬かられますし、そのとき、左足が、ピクっと動いてしまいます。慣れるまでに時間がかかりそうです。

6月18日 学部の説明に三重県立上野高校へ行きました。質問もあり、手応えありという感じです。話を聞いてくれた学生さんのなかで、受験してくれる学生がいるといいなあと思いながら学部を語りましたが、やはり、他学科の説明は、むつかしいです。うまく伝わったか心配です。オープンキャンパスだけは、声を大にして宣伝してきました。ぜひ、高校生のみなさん、オープンキャンパスに来て下さい。

6月某日 スパーズの逆転もすごかったが、阪神の逆転サヨナラもすごかった。あきらめない心と勢いを感じます。研究も「あきらめない心」と「勢い」が大事かも。

6月某日 生命科学研究支援センターの服部先生と山本先生が名古屋大学へ異動されました。両先生には、遺伝子実験施設時代から、お世話になりっぱなしで・・・・。服部先生には、91年の赴任から、施設のことや研究のことで助けていただき、山本先生には、留守の間に放射線取扱主任者を代わっていただいたりで、たいへんお世話になりました。両先生の今後のご活躍と研究の御発展をお祈りいたしております。

6月14日 日本農芸化学会中部支部例会が、生物資源学部の大講義室でありました。自分の学問のベースには農芸化学という学問があるということを忘れがちです。ひさしぶりに会った友人のように、「農芸化学」を意識した日でもありました。

5月26日 学生実験 空中落下細菌や、口腔内の細菌を顕微鏡で観察してもらいました。口腔内細菌の観察では、その細菌の多さにおどろいた学生さんもいましたが、我々のまわりには、たくさんの微生物がいるということを認識していただくことが大切かと思います。口のなかの細菌が全て虫歯菌ではありませんので誤解のないように。

5月某日 今年こそと思っていたキングスが、セミファイナルで負けてしまいました。クリスのけがが痛かったですが、来年こそと願っています。開幕好調だった中日も5割のラインを低空飛行ですし、負けはないもののグランパスも勝ちきれていません。元気がでない5月下旬です。

5月13〜14日 生命科学研究支援センター総合アイソトープ部門の放射線業務従事者教育訓練 例年のことですが、今年は、組織も変わり支援センターの事務の方にも手伝ってもらいました。合い言葉は、「おそれず、あわてず、あなどらず」。放射性同位元素をむやみにおそれることなく、十分な知識と理解で扱えば、いろいろな成果が得られると思います。学部に来てから医学部の先生方と会う機会が減りましたが、ひさしぶりに何人かの先生と言葉をかわすことができました。

5月8〜10日 第4回持続的エネルギーと環境技術に関するアジア太平洋国際会議に出席し、研究成果を報告しました。例のSARSの影響で、中国の研究者の多くが来日できず、会議の講演のいくつかがキャンセルされるなど、いろんなところに影響が出ていることを実感しました。私の発表は、ポスターで申し込んだのですが、口頭発表になりました。とにかく原稿丸読みで、久々の緊張感でした。英語がうまくなりたいの一言です。発表の後の恐怖の質問も「とんちんかん」な答え方で(英語になっていなかったかも)どうにか時間が過ぎました。9日付けの中日新聞の三重版に、ポスター会場の写真が掲載されました。まん中でポスターの説明をしていたのが、香川大学の森本先生で、私は、その横にいたのですが、後ろ姿しか載りませんでした。家内や子供は、すぐわかったそうですが、ふりむけばよかったと思いました。

5月某日 連敗中に行くのは、気が重かったのですが、必ず勝ってくれると信じ、名古屋ドームまででかけました。なんとか、連敗を6で止めてくれました。今回も、サインボールがもらえて、こどもは大喜びでした。

4月某日 連休を利用して卒業生があそびに来てくれました。ついこの3月に卒業した人も、何年も前の人も、たずねてくれるのは、本当にうれしいです。職場の話や卒業生の話にはながさきました。

4月某日 名古屋ドーム 私にとっての今シーズンの開幕です。外野自由席だったので、朝から出かけて並びました。5階席でしたが、いいところがとれました。「シャオロンじゃんけん」(すみません、ローカルな話題で)に出て、こどもは大喜びでした。電車の都合で、8回の表で、席を立ったのですが、その裏に関川のタイムリーなどで逆転、一番いいところを見れなくて残念でした。

4月某日 NBAのレギュラーシーズンが終了しました。さあ、プレーオフです。キングスは、ジャズとです。昔は、マローンとストックトンにずいぶんとやられましたが、まあ、大丈夫でしょう。

4月15日 もう、4月も半ばです。すっかり春になりました。卒業生や、この4月からスタートした人たちから、たくさんのメールがとどきました。新しい環境は不安もありますが、予想もしない「いいこと」と出会うチャンスでもあります。みなさんの活躍に期待をしております。

4月9日 昨年度後期の講義の学生アンケートの結果が届きました。教官の取り組みについての評価では、思ったよりもいい点が出ていましたし、総合満足度も平均以上だったので、ほっとしました。しかし、教材の有用性は平均以下でしたので、配ったプリントや、見せた飼料サンプルが役に立っていないということだと思います。もっと考えないといけませんね。今週から実験もはじまりました。ぼちぼちです。

4月2日 今からちょうど50年前の今日、この日にDNAの二重らせん構造が、ネイチャーに投稿されました。遺伝子を扱うものとしては、記念すべき日です。この50年間の進歩は、おどろくべきことかと思います。塩基配列の解読、PCR技術、どれをとっても画期的です。今から20年前、「遺伝子操作」という言葉に胸をワクワクさせた学生時代、これから先の学生さんにワクワクするような夢と技術を語ることができるでしょうか。

4月1日 エイプリルフール いよいよ新年度です。引越のさなかだったので、ジーンズにセータというラフな格好で出てきたのですが、11時から辞令交付式があるので、出てくれと言われ、あわてて出ていったら、みんなきっちりとした格好で、ひとり浮いてしまいました。アイトープ施設の生命科学研究支援センターへの移行に伴い、今日から、生命科学研究支援センターの併任講師となります。実に、平成13年の秋、共同利用研究施設の統合ワーキングからはじまり、ようやくたどりついたセンターの発足です。移転先にネットがつながりました。実験室の整備は、まだまだですが、ネットがつながるとほっと一息です。まだ電話をかけることができませんが・・・・・。

3月31日 年度末 春になってきました。どうにか、ここまでたどりついたという感じです。いよいよ、新年度です。1月からの新年のように新しい気持ちで、新しい実験室で、新年度を迎えたいと思います。正月とちがって新しい出会いがまっている4月です。

3月28日 プロ野球開幕 中日ー巨人戦もみたいが、日本ーウルグアイ戦もみたい。とくにヨーロッパ組の活躍も、レコバのプレーもみたい・・・・・けど、中日が勝っていると益々みたい。サッカーは野球のように攻守交代の時間(CM時間)がないので、途中でチャンネルを変えるわけにもいかず・・・・。稲本のシュートとアレックスの強肩、両方みることができてよかったです。

3月27日 研究室の引越 ずいぶん前から、パッキングをした段ボール箱を積み上げていましたが、業者が全部はこんでくれました。今度は、開封作業が大変です。-80℃のフリーザーとクリーンベンチをクレーンで4階からおろし、総合研究棟の4階へクレーンで入れました。クレーンも間近でみると迫力あります。新しい部屋は、新しいにおいがします。いつから実験できますでしょうか・・・・。

3月25日 学位授与式 朝から雨で心配しましたが、式のころにはすっかりあがって、みんな立派に卒業及び修了です。1年が過ぎたという安堵の気持ちです。もう研修に出ていたりして、すでに社会人の顔つきになっている学生さんもいます。また、いつでも大学に遊びにきてください。メールで近況などを聞かせてください。体に気をつけて、がんばってください。そんな1日です。

3月24日 今週、研究室の引越しをします。旧校舎を改築した総合研究棟へと移ります。そこは、昔の農学部校舎1号館で、農芸化学の7研究室と林産化学、家畜生産学、植物病理学の10研究室が入っていた建物です。1階の栄養化学と土壌・植物栄養学の研究室の部分が、「学生なんでも相談室」と「保健管理センター」になるそうです。農芸化学の学生実験室が、入試課になっていました。ちょうど事務室(駒田さんがいた部屋)のところにエレベータがついています。移転先のネット環境整備に時間がかかりそうです。

3月某日 名古屋の名鉄小牧線の上飯田ー味美間が、地下鉄の開業にともない廃線になるということで、その乗り納めに行ってきました。この線は、思い出の多い線です。とくに矢田川鉄橋下でよく遊びました。お天気もよかったので、矢田川の堤防には、たくさんの鉄道ファンがカメラを構えていました。

3月某日 パルケエスパーニャ(志摩スペイン村)に行ってきました。のりものにもいっぱい乗れましたし、パレードも楽しめました。TDLほどではないにしても、それなりに楽しめます。こういったところが、近場にあるのが、親としてはありがたいです。

3月15日 大学等放射線施設協議会北陸東海支部研修会 金沢まで行きました。放射線施設についても独立行政法人化は大きな波になりそうです。まずは、電離則対応です。これについては、これまでの人事院規則とは比べものにならない厳しい罰則規定があります。また次の法令改正の内容が見えてきました。これまで、規制外であった37MBqを超えない密封線源が規制対象になるとのこと。従来のアイソトープに加えて、遮蔽を含めて再評価をしなければならないかもしれません。他施設の先生もいっていましたが、文部科学教官と放射線取扱主任者との兼任は、そろそろ限界かもしれません。作業環境測定を含めてあまりにもやるべきことが多すぎるという印象です。3月15日から特急「しらさぎ」に新型車両が入るというこで、期待していましたが、往復とも旧481系でした。金沢の街も、学生時代のクラブの合宿以来で、以前の印象とはずいぶん変わっていました。

3月12日 会社訪問 大阪、神戸の民間会社を回りました。いろいろな話を聞きました。QCでは、「次工程はお客さま」ということを教えられましたが、大学の出口は、やはり就職先となります。就職先のニーズなり、状況を把握しておくことも大学にとっては大切になる時代がやってくるような気がします。お話をしてくださいました企業の皆様にお礼申し上げます。

3月10-11日 茨城大学農学部の豊田先生のところへ研究の打ち合わせにうかがいました。学生さんが積極的で、いろんな話ができました。研究室から、筑波山、日光男体山、遠く富士山が見え関東平野が一望でした。遺伝子実験施設も見学しましたが、新しくていいなあと思いました。

3月7日 前期日程の合格発表 雨のなか合格発表がありました。窓の下で沸き上がる歓声と掲示板を見て去る学生さん。傘がいろんな方向に動いていきます。

3月6日 遺伝子実験施設の新しいプロテインシークエンサーの講習会 前の476シークエンサーは、本当によく働いてくれました。93年以来、9年にわたり活躍しました。はじめの頃は、トラブルが多く、ずいぶんと手をわずらわせてくれましたが、途中からは安定し、多くのアミノ酸配列を読みました。数千残基読んだと思います。あの配列、この配列、論文になったものもあれば、確認のためだけのものもありました。いっしょにがんばった学生さんの顔も目にうかんできます。微妙な配列を超拡大モードによるチャート比較で読んでいき、後にDNAの配列とあっていたときは、本当にうれしかったものです。今度のシークエンサーは、感度がいいので、そういった苦労はないかと思います。いろんなマシン操作が、コンピュータにより自動化され、マシンとの触れ合いが少なくなったのが少し残念です。まあ、配列も質より量の時代、職人気質は必要がありません。少しでも長く、少しでも分離よくといった工夫をこらしていた頃が懐かしくなります。なんとなくひとつの時代が終わったような、さみしい気持ちになりました。

3月4日 すごい雪のなか、滋賀県立大学に英文シラバスについて担当された先生に話をうかがいに行きました。英文シラバスを作った際のノウハウを聞き、とても参考になりました。セッティングに尽力いただいた工学部の竹原先生にお世話になりました。地図をみると彦根というのは、結構近いのですが、鉄道ですと乗り換えが多いです。津ー亀山ー柘植ー草津−彦根、鈍行で行くちょっとした旅、子供のころの「鉄ちゃん」魂がよみがえり、忘れていた血がさわぎました。30年ぶりの加太越えで、このあたりで写真をとったなあと昔のD51が登っていく光景を思い出しました。蒸気機関車であふれていた亀山機関区、関西線のD51、紀勢線のC58・・・・遠い昔です。突然ですが、76ersの連勝をキングスがとめました。

3月3日 ひなまつり 愛知県立松蔭高校に学部・学科説明会に今年も参加し、学部の宣伝をしてきました。1年生ということで、少しでも動機づけになればと思いました。

2月27日 修士論文発表会 学部生の2倍の15分の発表ですが、やはりまとまりがあり、論文1報分に十分な内容があるものもありました。それなりに、目標にむかって攻めている姿勢が感じられました。当番だったので、全部の講演を聞きましたが、パワーポイントも、修士ともなるとアニメーションをふんだんに取り入り、見せる工夫がみられ参考になりました。

2月25日 前期日程個別学力試験 センターで試験監督が当たったので、今年は監督はありませんでした。ここの学科は、4.5倍でした。

2月某日 クロッカスが満開になりました。

2月某日 法人化説明会 だんだん法人化がちかづいてきます、これまでもずいぶんと説明会がありましたが、これからも増えることでしょう。古い企業にQC活動を取り入れるような感じです。大学でもPDCAサイクルを回すことになってきました。「がんばりましょう」のかけ声は、いいのです。すでに、限界が近いと感じているのですが、まだがんばらないといけないのでしょうか?と、ふと思います。

2月某日 修士論文審査 修士論文を審査しました。「よくできました○」という感じです。博士論文に比べてページが少ないのですが、誤字脱字は、倍以上です。ポストイットと赤ペンを持ちながら読んでいきます。

2月某日 子供の水泳大会 小学4年の娘は、すでに、私では、到達できないスピードで泳いでいるのですが、もっと早く泳げと言ってしまいます。自分でもできないことを子供にしろというのは、ちょっと無理かも。

2月14日 卒論発表会 2年の研究結果を8分で発表するのは、なかなか難しいですが、ひとり発表8分質疑応答2分でも、コース全体ですから、8時間ちかい時間になります。途中に会議があったりで、全員の発表を聞く事ができませんでしたが、今回から、全員が液晶プロジェクターによる発表になり、見せる技術、語る技術、絵を作る技術が、スライドの時代とずいぶんと変わったという印象を受けました。まさにコンピュータ世代の発表でした。

2月7日 博士課程、生物機能応用科学専攻の博士論文発表会。論文審査に参加した学生や、付き合いの深い学生さんが発表しました。発表会の間に、2年生の循環飼料学の試験をやったりで、校舎を走りまわりました。

2月4日 博士課程、生物資源開発科学専攻の博士論文発表会 さすがに博士論文の発表会ともなると聞きごたえがあります。とくに他分野の内容は本当に勉強になります。

2月某日 長年使ってきましたカセットウォークマンに別れを告げ、ついにMDウォークマンを買ってしまいました。なんといっても軽い、コンパクト、音質、どれをとっても驚きです。カセットテープとちがい、巻き戻しがなく、同じところを何回も聞くのにとっても便利です。CDからの録音もはやいですし、前からMDを使っているかみさんには笑われましたが、本当にびっくりのマシンでした。

1月31日 はやいもので、もうひとつきが過ぎます。後期の講義が終了し、来週から試験週間です。その間、博士論文の発表会、修士論文の審査があり、2月中旬以降は、卒論発表会、修論発表会と行事がつづきます。講義に対する「学生の授業評価」のアンケートがありました。どんな結果がでるのでしょうか。

1月29-30日 留学生のための講演会 立教大学の豊田先生に「発展途上国における観光と伝統文化」、理化学研究所の辨野先生に「食生活と腸内細菌叢」というタイトルで、講演をしていただきました。段取りはたいへんでしたが、学部を超えて、たくさんの留学生、学生、先生方に参加していただき、企画側のひとりとしては、ほっとしました。

1月某日 博士論文審査 6年、あるいは、それ以上の研究活動をわずか30分でといわれても、いいたい事は、山のようにあるという感じかと思います。博士論文には、学生さんの長年の苦労と成果がつまっています。きびしい指摘もしますが、やはりよい論文をという願いがあるからです。あと少しで学位です、もうひとがんばり。

1月27日 土曜日からネットワークがつながらない状況で、土日に予定していた作業が全くできませんでした。だんだん仕事がネットワークに依存してきているので、コンピュータがネットにつながっていないと本当に困ってしまいます。

1月18-19日 大学入試センター試験 2年ぶりに試験監督をしました。立っている時間が長いので、けっこうハードでした・・・ひざと腰にきています。おおきな問題もなく無事にすぎました。試験監督のなかで、一番緊張します。

1月6日 仕事はじめ まさに仕事はじめです。冬休みの宿題をもって、会議、打ち合わせともりだくさんです。

1月某日 新年の家族サービスで、鈴鹿サーキットへ行きました。 寒かったですが、いろんな乗り物に乗れて子供達も大満足だったと思います。大人もけっこう楽しめました。これで冬休みの行事は終了です。

いよいよ2003年のスタートです。今年は、国際会議の当り年で、3つの国際会議でポスター発表の予定です。さらに、3月末には、研究室の引越しがあり、4月からの生命科学研究支援センターの発足に伴う準備や研究室の移動にともなう申請業務などもあります。また、新学科の学生が4年生になり、いよいよ新学科での就職がはじまります。大学院の改組や、独立行政法人化への移行作業などいろんなことがあると予想される1年のスタートです。

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